PSYCHO-PASSが名作過ぎたという話
犯罪係数オーバー100、執行対象たきれんです。 というわけでPSYCHO-PASSの1期と2期、計3クール分を見終わりました。 このアニメは普段アニメを見ない友人が自分に勧めてくるという珍事が発生したりするぐらい、アニオタ以外からも支持されているSFアニメですけど、ずっとAmazonPrimeに追加されなかったこともあって、見ることができなかったアニメだったんですよ。 春休みの頃に何気なくアマプラを見てみると追加されてるじゃないですか。 というわけで、春休みに見た2012年のアニメの話をしていくというわけです。 脚本にはみんな大好き、鬱アニメの伝道師虚淵玄が参加していたり、総監督は踊る大捜査官の監督が参加していたり、キャラ原案にはリボーンの作者が参加していたり、アニメーションはI.Gだったりとスタッフだけを見ても豪華ですけど、中身が面白くないと意味がないです。 先に言っちゃいますけど、自分としては最高レベルに好きなアニメでした。 ちなみに話すことのメインは1期(1、2クール目)の話です。 ・数値化された社会というディストピア感 作品全体に重要な要素として「シビュラシステム」というものがあり、そのシステムによって人々が診断され、未然に犯罪を阻止するために隔離、もしくは抹殺が行われるという設定です。 ぱっと見ではシステムに人生を診断され、左右されていくということで、現代を生きる我々にとってはディストピア感満載な訳です。 ただ、その世界の中で多くの人々はシステムに懐疑を抱くことなく生きていくわけです。 その世界の方が便利だから、ある意味ユートピアとして描かれるのです。 総監督のインタビューでは数値化された社会というディストピア感について、結構なるほどな...ということを話していて、「体重一つとってもBMIや体脂肪といった数値に左右されている」...結構なるほどなって思わされました。 例えば自分のようなガジェット好きはスマホを調べる時にAntutuや3DMarkのようなベンチマークでのスコアを見て、数値化された性能を見てスマホを探したりします。 そう、数値化された情報を我々は既に見続けて生活してるんですよね。 最近でも犯罪係数とは少し違いますけど、防犯カメラに映る表情などをもとに、危険かどうかなどを判定するシステム